AI時代のブログ記事についての考察

生成AI関連

生成AIが登場してから、私も衝撃を受けまして、しばらくの間は生成AIに質問して得られた回答をそのままブログ記事に貼り付けていました。

単純な知識は、もはや生成AIに質問してしまった方が良い状況になっていて、検索エンジンですら必要なくなってきています。

私も、生成AIを利用しながら、「このAI全盛の時代にブログ記事を書く意味があるのだろうか」と自問自答していました。
知識的なものは、わざわざ自分で記事を書かなくても、AIに聞いてしまった方が早いので、技術記事のような記事を書くモチベーションが湧いてこなかった側面もあります。

しばらく、そんなモヤモヤした気分のまま、AIでコードを書いたり、AIの回答をブログに貼り付けたりしながら、AIの性質を観察していました。

AIの性質から考えて、今後、人間はどんなブログ記事を書くべきなのか、考察してみたいと思います。

単純な知識はAIに聞いた方が早い

特定コンピュータ言語やツールやライブラリ・フレームワークの使い方などの知識は、人間が解説するより、ユーザーが生成AIに質問して調べた方が早くて正確です。
特に、ある程度対象について知っているプログラマー等が、不足している知識を埋める目的で調べるのなら、相手に合わせて解説してくれる生成AIの方が、最短経路で説明してくれるので圧倒的に時間の節約になります。
そういう意味では、単純に「使い方」を解説する技術解説記事は、存在価値を失っているとも考えられます。

現時点では、まだ断定はできませんが。

AIハルシネーションと人間個人の間違いは等価

大多数の人は既知だと思いますが、生成AIにはハルシネーションの問題があります。
生成AIは自身の間違いに認識する機能が無く、確率論的に言葉を選んでいますので、自身が知識を保有していない分野の質問を受けますと、間違った回答を堂々としてしまう欠点があります。

人間から見ますと、それが間違いかどうか、回答を見ただけでは分かりませんので、厄介な欠点です。 AIに批判的な人々は、このハルシネーションがあるからAIは役に立たない、有害である等の批判をします。

しかし、この問題はAIだけを単独で評価する事に意味はありません。
現実世界でのAI利用を考えた場合、「人間とAIのどちらがより信頼できるのか」という点で評価する必要があります。

現実世界では、人間もかなりの確率で間違います。
それどころか人間の中には、意図的に人を騙して、自分の都合の良いように人を操る者も少なくないです。
生成AIは、学習していない分野の回答で、間違えるだけです。意図的に人を騙そうとはしません。
そもそも生成AIはだだの道具であり、人間のような独立した自我や意識はありませんので、「騙そうとする意図」自体が存在しません。

総合的には人間より信頼できる存在ではないかと思います。
もちろん特定分野の専門家と比較しますと、人間の専門家の方が信頼できることは否定しません。

しかし、人間の場合、専門家でもその専門分野以外の分野では素人に過ぎません。
専門家は忙しいですので、一般人はなかなか専門家の話を聞く機会に恵まれません。
生成AIは誰でも安価で質問に回答してもらえます。
信用と利便性を総合的に考えれば、ハルシネーションがあっても生成AIは、かなり信頼できる存在だと私は思います。

言い方を変えると「人間はそんなに信頼できる存在ではない」とも言えます。

両者は同じ事を言っているだけです。
基本的に100%信頼できる存在は無いのです。

AIは最新情報を把握していない

先に書いたように「知識の面では、人間の記事を読むより、生成AIに質問した方が良い」と言えますが、例外として最新情報に関しては、人間の方が信頼できます。
生成AIはリアルタイムに最新情報を学習していませんので、AIサービスによって違いますが、全体として直近数ヶ月以内の情報に関しては、学習していない事が多いです。
知っていても最新情報の信頼性は疑った方が良いでしょう。

新聞・ニュースのような時事ネタの場合は、人間の書いた記事の方が信頼できます。

しかし、半年から一年程度経過した情報なら、生成AIが信頼できるようになっていると思われます。

身体的情報処理は苦手

生成AIは身体を持ちませんので、身体的情報処理は苦手だったり、できなかったりします。

インフラエンジニアや大工のように直接ハードウェアを操作する仕事はできません。

また、視覚・聴覚・触覚を必要とする情報処理も苦手です。 一部、マルチモーダル技術が開発されていますが、まだ発展途上です。

一部、o1 pro 等を例外として一般の生成AIは、数学的処理もあまり得意ではないようです。 数学に関しては数学の得意な人間の方が信頼できるようです。

また、ユーザーが生成AIに送れる質問文の長さに制限があり、同時に生成AIが解答できるテキスト長にも制限がありますので、ある程度以上複雑で大量の情報処理はできません。
ユーザーの情報をリアルタイムで把握する事もできませんので、ユーザーの身辺状況に合わせた情報処理はできません。
毎回、壱から全て説明しなければAIの支援を受けられません。

これらの点では、人間の方が役に立つでしょう。

公に近いほどAIが強く、個人に近いほど人間が強い

生成AIが学習する情報は、公でテキスト化された情報だけで、個人的な情報や田舎のローカル情報など、個人周辺のマイナーな情報は、学習しません。
生成AIの提供元が、そんなマイナーな情報を把握できないのと、LLMへの学習コストの限界もあるからです。
AIは公に近い情報ほど詳しく、個人やマイナーな集団の情報ほど、苦手とします。
特定の会社の中で通用している常識などは、AIには把握できません。
大都市や観光地などを除き、特定の街の事も知らないでしょう。

技術記事の価値

IT系の技術解説記事などは、半年から一年以内の最新情報なら、人間が書く価値はあると思いますが、一年以上経過した知識や情報であれば、AIに質問した方が良く、技術記事の価値は失われて行くのではないかと思われます。
ただ、今のところ日本人の中ではAIを使用していない人が多いですので、そういう人々に読まれることが多いと思います。
会社によっては、AIの利用を制限している職場もあると聞きます。
そういう職場で働いている人々には、一年以上経過した知識や情報の記事にも価値があるでしょう。
記事を書く側としては悩ましい状況だと思います。

個人ブログの価値

知識の提供は生成AIに任せた方が良い状況になりますと、人間や個人は何を書けば良いのでしょうか。

身体的技能

AIが苦手とする情報処理から考えますと、身体的情報を提供するのが良いようです。
ハードウェアの操作などは、身体が無いと理解できません。
AIには理解できませんから身体で行う仕事の知識は、人間が提供するのが最適と言えるでしょう。 YouTubeなどで発信される「料理動画」や「エアコンの取り付け方」「機械の修理の仕方」など身体を必要とする情報発信は、有効です。
テキストになりますと、これらの発信は難しいですが、可能です。

意見

当たり前ですが、個人的な意見や主張は、意志のないAIには存在しません。
持論や政治的意見など、個人的主張をするなら、AI時代であってもその存在価値は変わらないでしょう。

経験・体験

身体的な知識だけではなく、身体が無いと理解できないのが「体験」です。
旅行に行ったときに経験したトラブルや、感想などは、AIには書けません。
仕事や人間関係の経験や、失敗談や酷い目に遭った経験など、これらもAIには書けません。
転職・結婚・離婚・育児・旅行・移住・裁判闘争・闘病生活などは、AIがいくら進歩しても人間にしか書けません。
身体が無いと理解できない情報は、すべてAIに対して優位性があるでしょう。

何を書くのか

以上の考察から、今後個人ブログで書く記事の内容は、「最新情報」「身体的技能や知識」「経験・体験」を中心にするのが良いかと思います。
AIは、まだまだ、高度な専門家の知識には敵いませんので、書籍を執筆している人は、それほど影響を受けないと思いますが、ブログ記事程度の情報では、その影響は大きいと考えられます。
AI時代に合わせた記事を書く必要に迫られると考えます。

正直なところ、私も何が正解なのか分かりません。 私なりに試行錯誤していきたいと思います。

以上、AIと個人ブログについての個人的考察でした。

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